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東京地方裁判所 平成7年(特わ)2035号 判決 1996年3月22日

主文

被告人を懲役一年四箇月に処する。

この裁判の確定した日から三年間刑の執行を猶予する。

理由

(犯罪事実)

被告人は、コンピューターソフトウエア開発及び販売等を目的として、日本証券業協会に株券を登録していたテーエスデー株式会社の代表取締役であったが、同社が平成二年一〇月二日に発行したスイスフラン建転換社債(発行総額四五〇〇万スイスフラン)の繰上償還期日が平成四年九月三〇日に迫っていたにもかかわらず、そのための資金調達に窮していたことから、この転換社債の株式への転換を促すため、同社株式の価格を騰貴させようと考えた。そこで、テーエスデーの株式の相場変動を図る目的をもって、平成四年八月二六日、東京都中央区日本橋兜町二番一号の東京証券取引所内の記者クラブにおいて、東京放送の記者らに対し、「テーエスデーは、横浜市立大学医学部奥田教授が開発したエイズワクチンの特許実施権を所有しており、既にタイ国チュラロンコン大学医学部及び同国赤十字で臨床試験中である。タイでワクチン製造のための合弁会社を設立した。」「テーエスデーは、国立ロシア医科大学よりエイズワクチンの臨床試験及び共同研究について要請を受け、打合せをしてきたが、このたび正式に決定し、同大学ヤルイギン学長の来日を仰ぎ正式に調印した。ロシアでの臨床試験は、一九九二年一〇月から開始することが決定した。」などと公表した。テーエスデーが関与するエイズワクチンはタイ王国で臨床試験が開始されておらず、エイズワクチンの製造等を目的とする合弁会社もいまだ設立されていない上、同社はロシア連邦の国立ロシア医科大学とエイズワクチンの臨床試験及び共同研究を行うについて正式に調印しておらず、ロシアで平成四年一〇月からエイズワクチンの臨床試験を開始することは決定していないのであって、前記の公表に係る事実は虚偽のものであり、これを被告人は知っていた。このようにして、有価証券の相場の変動を図る目的で風説を流布した。

(証拠)<省略>

(争点に対する判断)

第一  弁護人の主張

弁護人は、本件の公表した事柄はいずれも合理的根拠に基づく事実であり、被告人もそのように認識していたのであるから、被告人の行為は風説の流布には当たらず、また、被告人には株価の変動を図る目的もなかったのであるから、無罪であると主張する。

第二  風説の流布に該当するかどうかについて

一  奥田ワクチンがタイにおいて既に臨床試験中であると公表した件について

1 弁護人は、次のように主張する。

被告人は、横浜市立大学医学部教授奥田研爾が開発したエイズワクチン(奥田ワクチン)をタイに紹介する際に尽力してくれたタイの元公衆衛生省副大臣クラッセ・チャヌワングから、臨床試験が既に開始されていると聞いていたし、奥田もタイで奥田ワクチンの臨床試験を担当することになっていたチュラロンコン大学教授ファヌパック・プラパンから、奥田ワクチンを三〇人に投与した旨聞いていたことなどからすれば、本件当時、タイにおいて臨床試験が始められていたとする公表には合理的な根拠があり、風説には当たらない。また、被告人も臨床試験を開始するに当たっての法的手続について十分理解していなかったこともあり、このようなタイにおける関係者の話により、臨床試験が開始されていたと信じていたのであるから故意がない。

2 タイにおけるエイズワクチン開発事業の進捗状況は、関係証拠によれば次のとおりと認められる。

被告人は、平成三年八月中旬ころ、HIV感染症予防ワクチン(エイズワクチン)を開発した横浜市立大学医学部細菌学教室教授奥田研爾と知り合い、話の中で奥田から「エイズワクチンを開発したので、臨床試験をやりたいと思っているが、日本では手続が面倒でなかなか難しい。」などと聞き、タイでエイズがまん延して困っていると言っていたタイの元公衆衛生省副大臣クラッセ・チャヌワングを紹介するなどして、奥田ワクチンの開発にテーエスデーとして乗り出した。同年九月下旬には、奥田とともにタイを訪れ、クラッセからチュラロンコン大学医学部教授でタイ国赤十字社の幹部でもあるファヌパック・プラパンを紹介され、タイにおいて奥田ワクチンの共同研究や臨床試験を行うことを話し合った。

平成四年二月ころには、プラパンからの要請で、被告人と奥田は、ひそかに奥田ワクチンのサンプルをタイに持ち込んだ。同年三月三日、プラパンから奥田あてにファックス文書が届いたが、それには、タイにおいて臨床試験を行うためのエイズワクチン受入れガイドライン案が作成され、奥田ワクチンの臨床試験を行うにはナショナル・コミッティーの事前の許可が必要であるので、その許可申請をするため、日本でのフェイズ[1](少数の健常者にワクチンを接種させてその安全性を検証する試験)の人間に関する毒性及び免疫遺伝学上のデータ等を至急送ってほしいなどと記されていた。このファックス文書は、同月九日には奥田からテーエスデーに送られた。同年四月一〇日、テーエスデー社員で奥田ワクチンの事業化を担当していた佐々木瞭と奥田がフェイズ[1]に関して打合せをしたが、奥田は、日本においてフェイズ[1]を行うことは臨床試験をするのと同じであってできないと述べ、この奥田の見解は同日付けの書面で被告人にも報告された。結局、奥田は、動物安全試験データ等一部のデータのみをプラパンに送った。

同年五月下旬、クラッセが来日して被告人らと記者会見を行ったが、その際にもチュラロンコン大学の倫理委員会の承認とタイの公衆衛生省にある医学倫理委員会の承認を受けてから臨床試験が開始されると説明していた。

同年六月一八日、チュラロンコン大学医学部倫理委員会により奥田ワクチンが承認され、同月二六日、クラッセから奥田あてにその旨の文書がファックスで送られてきた。これを受け取った被告人は、同年七月二日の記者会見の資料としてこの文書の写しを添付した。

同年八月五日、プラパンから奥田あてに新たなファックスが届いたが、その文書には、「エイズ患者に奥田ワクチンを実験する件はいまだ開始されていません。九月中旬にこの実験を開始するための十分な志願者を集められるだろうと考えています。タイにおけるこのワクチン実験を日本の報道機関に発表された内容について私は非常に心配しています。その中には正しくない点もあります。例えば、実験が既に始まっているとか、タイの赤十字社が合弁事業をするであろうとか等々であります。」などと記載されていた。この文書も、同月一〇日までにテーエスデーに届けられ、被告人の机上に置かれた。同月一八日ころには、被告人は、タイ出張から帰国した佐々木から、タイでの臨床試験はまだ始まっていないとの報告を受けた。

同年九月一七日、プラパンから奥田あてに再度ファックス文書が届いたが、それには、「奥田ワクチン使用を開始するに際しては、技術上の遅延があるところへ、タイ当局から認可取得の遅延もあります。ワクチン試用の提案については、八月二六日に公衆衛生省ヒューマン・リサーチ・コミッティーの承認が得られています。公衆衛生省は目下当該提案をナショナル・エイズ・コミッティーへ送付してその承認を求めており、かつWHO/GPAのワクチン開発運営委員会へ送付してそのコメントを求めています。これら二つのコミッティーからいつその決定が来るかは不明です。」などと書かれていた。

3 このような状況の下で、被告人と奥田が、前記のとおり、奥田ワクチンのサンプルをタイに持ち込んでいることなどからしても、タイにおいて奥田ワクチンが人体に投与された可能性は否定できない。しかし、単なる人体投与と医薬品としての製造、販売を前提とした臨床試験が異なることは当然である。前記のとおり、タイにおいて臨床試験を実施するためには、大学の倫理委員会のほか、ナショナル・コミッティーといった国家機関からも承認を必要とするなど様々な手続を経なければならず、実際にはこれらの手続をいまだ経ていなかったことは明らかである。被告人も、平成四年三月三日付けのプラパンからのファックス文書や同年四月一〇日付けの佐々木の報告書などを見ていたばかりか、同年五月下旬の記者会見におけるクラッセの説明を聞いていたのであるから、タイにおける臨床試験には大学の倫理委員会の承認のみならず国家機関からの承認も必要であるということを理解していたものと認められる。

4 しかも、被告人は、平成四年八月一八日ころ、タイから戻った佐々木から、タイでの臨床試験がいまだ始められていないとの報告を受けており、それ以前にも、このことを知らせる同月五日付けのプラパンからのファックス文書を、遅くとも夏休み明けの同月一〇日ころには読んで、その事実を知っていたと認められる。

なお、被告人は、公判廷において、右の八月五日付け文書を同月二六日の記者会見(以下、「本件会見」という。)以前には見ていないと思うと供述しているが、前記のとおり、この文書は八月一〇日までには被告人の机上に置かれていたのであって、そのころ夏休みが明けて出社した被告人がこれに目を通さないはずがない。現に捜査段階では、被告人自身、夏休みが明けた八月一〇日ころ出社した際に、この文書を読んだと供述している。

5 以上のとおりであるから、被告人は、本件当時、タイにおいて奥田ワクチンの臨床試験がいまだ開始されていないことを十分認識しながら、合理的根拠のない虚偽の事実を公表したといわなければならない。

二  タイにおいてエイズワクチン製造のための合弁会社を設立したと公表した件について

1 弁護人は、合弁会社の設立について当事者間で合意が成立し、既に設立手続が進められており、本件当時には、事務的な事項を残すのみであったことからすれば、この公表は全くの虚偽ではなく、風説には当たらないと主張する。

2 テーエスデーとタイのカンピャンペット社によりエイズワクチン製造等を目的とする合弁会社が設立されたのは、平成五年六月であり、本件当時、いまだ設立されていなかったことは明らかであって、被告人も争っていない。

また、佐々木の検察官調書によれば、佐々木はタイにおいて合弁会社の設立状況を調査し、平成四年八月一四日付けファックスで、合弁会社の設立完了までに一箇月近くかかるとの見通しを被告人に連絡したこと、帰国直後の同月一八日ころ、再度、合弁会社がいまだ設立されておらず、カンピャンペット社が合弁会社設立について消極的になっているようだと被告人に報告したことが認められる。

3 そうすると、被告人は、合弁会社が設立されていないことを知りつつ、あえて合弁会社が既に設立されたという虚偽の事実を公表したというべきである。

三  ロシア医科大学とエイズワクチンの臨床試験及び共同研究を行うことを正式に調印したと公表した件について

1 弁護人は、平成四年八月二六日、テーエスデーとロシア医科大学が調印した契約書には、奥田ワクチンの「共同研究」「臨床試験」などといった言葉こそ記載されていないけれども、これは総括的な合意書として抽象的な表現を用いたためであって、当事者間で奥田ワクチンの共同研究及び臨床試験を念頭に調印しており、この契約書をもって正式調印があったと評価できるから、公表内容は真実であり、風説には当たらないと主張する。

2 弁護人指摘の契約に至る経緯については、浅井信幸の検察官調書によれば次のとおりと認められる。

テーエスデーのロシア駐在員である浅井信幸は、奥田ワクチンの開発事業の協力者をロシア国内で探すことを被告人から指示され、当初はロシアでのエイズ研究第一人者とされるロシア医療科学アカデミー(ロシア医療科学センター)教授パクロフスキー・ヴァディム・ヴァレンティノヴィッチと交渉を試みたが、パクロフスキーと被告人との会談の日程が合わず、急きょ国立ロシア医科大学(旧モスクワ国立医科大学)学長のヤルイギン・ウラジミールに被告人が面談する段取りを付けた。平成四年七月一八日、ロシア医科大学の学長室で、奥田らを同行させた被告人とヤルイギンが初めて会い、エイズ問題や看護婦養成等について、今後テーエスデーとロシア医科大学とで協力して進めていくことで合意した。同月二〇日に二回目の会談を行い、被告人の提案で、前記のように協力し合うことを契約書として作成することになり、その席上で契約書の草稿ができ上がった。この会談の際に、被告人がヤルイギンを日本に招へいすると申し出た。同年八月二二日、ヤルイギンが来日し、同月二六日の午前、テーエスデー本社内で被告人とヤルイギンが会談した折、ヤルイギンが持参した露文と英文の契約書に被告人とヤルイギンが署名し、被告人の署名の箇所にはテーエスデーの社印と社長印を押した(日付は、被告人がロシアに滞在していた時期である七月一七日にさかのぼらせた。)。

3 ヤルイギンの滞日中のスケジュール表をみると、調印等の予定の記載はなく、ヤルイギンと被告人が契約書に署名した八月二六日午前も、厚生省への表敬訪問が予定されていて、ワープロでその旨記載されていたが、そのくだりを線で抹消し、手書きで「TSD本社にて契約 etc打合」と書き込まれている。確かにヤルイギンが露文と英文の契約書を持参してはいるが、このようなスケジュールからして、正式に調印をする予定はなかったことがうかがえる。

4 弁護人指摘の契約書についても、次のような諸点が挙げられる。

第一に、弁護人指摘の契約書をみると、ヤルイギンの署名の傍らにロシア医科大学のスタンプが押されているが、そのスタンプはヤルイギンがロシアに戻ってから押したものであり、その後スタンプの押された契約書が航空便で被告人の方に送られたのである。

第二に、弁護人指摘の契約書には、モスクワ国際アカデミーセンター(MIAC)代表者チホミロフ・ミカエルが仲介者として署名押印をしているが、MIACは平成四年八月二六日当時まだ設立されておらず、代表者となる者は来日すらしていないのであって、当時はMIAC代表者の署名押印はなかったことが明らかである。その後、仲介者としてMIAC代表者の署名がなされてはいるが、押されたスタンプはパシフィックインターナショナルビジネスアソシエーション(PIBA)という別法人のものである。

第三に、弁護人指摘の契約書には、露文、英文のほか、和文の正文を作成するとあるが、実際には和文の契約書は作成されていない。

このように契約書の体裁等からして、平成四年八月二六日の時点で、正式調印という形式を踏んでいるとはいえない。

5 弁護人指摘の契約書には、奥田ワクチンの共同研究及び臨床試験の実施については全く記載されていないばかりか、詳細を定めるとされているメモランダムも、平成四年八月二六日の時点では作成されていない。被告人にとって、奥田ワクチンの共同研究及び臨床試験をロシアでも実施するということこそ重要な事項であったにもかかわらず、契約書にこれが明記されていないことからすれば、この契約書をもって奥田ワクチンの共同研究及び臨床試験の実施について合意したものと理解することはできない。

6 平成四年八月二六日以後の経過をみると次のとおりである。

被告人は、平成四年九月にロシアにおいてヤルイギンと会ったが、奥田ワクチンの共同研究及び臨床試験については特に話し合っておらず、結局ヤルイギンとはメモランダムを交わさないままで終わった。その一方で、浅井を通じてモスクワ医療科学アカデミーのパクロフスキーとの交渉を再開し、同年一一月下旬、ロシアにおいて被告人がパクロフスキーと会った。そして、同年一二月二二日、来日していたパクロフスキーとの間で、奥田ワクチンの臨床試験をロシアで行うことについてのメモランダムを交わすに至った。もっとも、そのメモランダムの作成日付をパクロフスキーの了解を得た上で一〇月七日にさかのぼらせた。

このように作成日付をさかのぼらせたのは、そうすることの必要性や根拠がないこと、メモランダム作成直後の記念撮影の際にも、被告人が写真の日付をわざわざ一〇月七日にさかのぼらせるよう指示したこと、当時マスコミにより本件会見における公表について批判的報道がなされていたことなどに徴すると、被告人が捜査段階で供述しているように、本件会見で公表したとおり、一〇月からロシアにおける臨床試験が開始されているように装うための工作と推認される。

7 これらの事実を総合すると、弁護人指摘の契約書では、エイズの医療品並びにその主要な諸問題について相互に調査を取りまとめるため両当事者が協力関係を進展させるということを合意したにすぎず、奥田ワクチンの共同研究や臨床試験をするといった踏み込んだことまで合意してはいないということができる。

したがって、この点に関する被告人の公表は合理的根拠のない明らかな虚偽事実であり、被告人もそれを認識していたものと認められる。

四  平成四年一〇月からこの臨床試験を開始することが決定したと公表した件について

1 弁護人は、前記の平成四年八月二六日の契約の際、被告人とヤルイギンとの間で、ロシアでの奥田ワクチンの臨床試験について同年一〇月からの開始を目指すとの合意をしていたのであるから、この公表も合理的な根拠に基づくものであり、風説には当たらないと主張する。

2 前記のとおり、平成四年八月二六日の契約では奥田ワクチンの共同研究及び臨床試験の実施について合意されていなかったことに加え、その後の被告人のロシア側との対応やメモランダム作成日付をさかのぼらせるなどの工作をした状況などからすれば、通訳として契約の際常に立ち会っていた浅井が供述するように、被告人あるいは奥田がヤルイギンとの間で奥田ワクチンの臨床試験を同年一〇月から実施するなどと決めたことはないと認められる。

なお、被告人は、公判廷において、ヤルイギンが一〇月から奥田ワクチンの臨床試験を開始するつもりでいた事実の証左として、この公表に同席していたヤルイギンが何ら異論を唱えなかったこと、同年八月二七日付け朝日新聞にも書かれているように、ヤルイギンは「感染者がどれだけ増えるか分からないものの、準備は進めたい。このワクチンは安全性が高いようだし、効果に期待をかけている。」と述べたことを指摘する。しかし、本件会見の際にロシア語の通訳を担当していた浅井の検察官調書によれば、記者公表資料や被告人の記者公表にはうそが多かったため、ヤルイギンにこれらの内容をあえて通訳しなかったというのであり、ヤルイギンが記者公表の内容を正確に理解していなかったことが認められる。記者の質問に対するヤルイギンのコメントについても、極めて抽象的なものであり、それまでの話合い等からして奥田ワクチンに関心を持っていて、今後協力関係を進展させることは理解していたことからすれば、これをもって直ちに同年一〇月から臨床試験を開始するつもりであったとすることはできない。

3 そうすると、本件会見当時、平成四年一〇月からロシアで奥田ワクチンの臨床試験を開始することが決定していなかったことはもちろん、これを目指す旨の合意がなされてもいなかったわけであるから、この点に関する被告人の公表も合理的根拠のない虚偽の事実であり、被告人もそれを認識していたものと認められる。

五  まとめ

1 以上のとおり、本件で公表された内容は、いずれも合理的根拠に基づかない虚偽の事実であり、被告人もそれを認識していたのであるから、被告人が本件行為により風説を流布したことは明らかである。

2 なお、弁護人は、本件の公表内容はいずれも近い将来実現する蓋然性のある事項を既に実現したようにいわば大げさに表現したにすぎず、風説を流布したことにはならないと主張する。しかし、本件の公表内容は、一定の前提条件の下で将来の事実を予測して公表したのではなく、将来実現するかもしれないことを既に実現したとして公表している点で、明らかな虚偽である。将来の事実と実現した事実とは明らかにその信頼度に差があり、投資家に与える影響も大きいことは明らかである。したがって、このように将来の事実を現在の事実として公表することは風説の流布に当たるといわなければならない。

第三  株価の変動を図る目的の有無について

一  本件当時のテーエスデーの資金状況(償還資金の手当て)

1 関係証拠によれば、以下の事実が認められる。

テーエスデーは、平成二年一〇月二日、本件転換社債を発行したが、これには満期前繰上償還請求権(プットオプション)が付され、その行使期間は平成四年八月二日から同月三一日まで、繰上償還日は同年九月三〇日とされていた。この発行により、約四六億円の資金を得たが、これを当初の予定に反してすべて使い果たし、償還のための資金を別途調達しなければならない状況にあった。

平成三年一一月以前には、テーエスデーにおいて、プットオプション行使の対応策について特に話題になることはなかったが、同月一日、テーエスデーの主幹事証券会社で本件転換社債発行のあっせん会社でもある山一証券株式会社から、株式市場の低迷とテーエスデーの業績悪化で株価が転換価格を大きく下回っており、今後も株価の回復が期待できない一方、スイスフランに対して円高になっていた為替相場からして、本件転換社債の一〇〇〇万スイスフラン分について買入消却を実施すれば、一億円以上の償還差益を得られるといった内容の提案がなされ、テーエスデーでも財務委員会において検討された。しかし、当時のテーエスデーの資金状況からして、たとえ利益が上がっても当面の資金が用意できなかったところから、買入消却を断念せざるを得なかった。

平成四年一月下旬ころから再三、テーエスデーの経営会議等でも、株価が低迷している中でいかに償還資金を調達するかが議論されたが、被告人が自分に一任するようにと言い張るだけで、具体的な目処は全く立たない状況であった。

被告人の指示で、財務担当者が同年一月にテーエスデーの主力銀行である富士銀行、協和埼玉銀行(当時)等に融資を打診したが、反応は芳しくなかった。同年三月には、テーエスデーの財務委員会において、償還資金の借入れについて予定の銀行とその金額を交渉案として決めたが、銀行側が担保を要求するなどして交渉がまとまらず、償還資金を借り入れることが全くできなかった。同年八月初めにおいても、いずれの銀行からも融資の確約を取ることができないでいた。

本件会見後、懸命に交渉した結果、償還期限ぎりぎりの同年九月下旬になって、株価が上昇したことなどもあって、予定額を下回る約二九億円を借り入れることができ、何とか償還日の九月三〇日までにスイスへ送金することができた。

2 ところで、被告人は、当時のテーエスデーには資金状況からして四〇億円以上の資金を用意することができたし、親密に取引をしていた安田信託銀行から二〇億円近い借入れが可能であると思っていたと公判廷で供述する。しかし、流動資産の一部は担保に差し入れられていたほか、投資有価証券の多くは、取引銀行との株式持ち合いによるもので、処分が困難であったのであるから、名目上の資産をもって償還資金が確保されていたとすることはできない。そもそも資産の多くを償還に充ててしまうことは、運転資金等に支障を来して現実的ではない。また、安田信託銀行からは、別件で七億円程度の融資を引き出したほかは、実際には厳しい条件の下で三億円を借りることができたにすぎない。このような点に照らしても、被告人の弁解は不合理であって信用できない。

3 このように、プットオプションの行使に備えて資金調達が避けられない状況下において、テーエスデーには金融機関等からの新たな借入れ以外にその資金を調達する方法はなかったにもかかわらず、本件会見時にはその償還資金借入れが全くできていなかったものである。

二  本件会見前後におけるテーエスデーの株価の推移と被告人の言動

1 本件会見前後におけるテーエスデーの株価の推移をみると、テーエスデーの株価は、景気後退に伴う業績悪化に加え、不動産投資による巨額の借入金の金利負担が増大するなどマイナス材料しかなく低迷しており、平成四年六月八日の時点では七八〇円となり、同月九日から一二日までは出来高がなかった。

ところが、被告人らが同年五月下旬に「奥田ワクチンの臨床試験をタイで実施する。チュラロンコン大学の倫理委員会の承認が得られ次第、七月にも試験を開始する。また、タイにエイズワクチンの製造販売を目的とした合弁会社を設立する予定である。」旨述べた記事が同年六月一三日付け日本経済新聞朝刊に大きく掲載されたことにより、週明けの一五日から株価が連日高騰してストップ高を続けた。同月二二日、被告人が日本証券業協会からの企業内容開示(ディスクロジャー)の要求に応じ、記者クラブに対する資料の投げ込みにより、テーエスデーと奥田ワクチンとのかかわりを説明したほか、ロシアなど他の国々とも奥田ワクチンの臨床試験に向けて交渉中であるなどと公表すると、終値はついに二〇〇〇円台に突入し、同月二六日の終値は二八〇〇円を付けるとともに、出来高も急に大きくなった。その後、多少の価格変動の後、同年七月中旬ころからは株価が徐々に下がり始め、二〇〇〇円を割り込むこともあり、同年八月に入ってからは辛うじて二〇〇〇円から二五〇〇円前後を維持していたが、さらに株価が下がる見通しであったこともあり、総発行額の約一一パーセントまで進んでいた本件転換社債の株式への転換が進まなくなり、ついにプットオプション行使による償還請求が行われるようになった。

このような状況下で、被告人は本件会見を行った。その内容は、翌日、日本経済新聞のほか一般紙にも掲載され、タイでエイズワクチンの製造販売目的の合弁会社が設立され、臨床試験が開始されたのに続いてロシアでも臨床試験を実施することが決定したという点で、株式市場にとって衝撃的な情報となり、一気に出来高が増え、株価は再び高騰を始め、同年九月八日には最高値の三六五〇円を付けるなど、一七日まで、転換権行使の目処とされる二九八〇円を超える状態が続いた。その結果、再度本件転換社債の株式への転換が始まり、最終的には一七四五万スイスフラン、総発行額の三八・七八パーセントまで転換が進んだが、その後は株価も勢いを失い、徐々に下がっていった。

2 以上が本件前後におけるテーエスデーの株価の推移であるが、それに伴う被告人の言動をみることとする。

テーエスデーの主幹事証券会社である山一証券の担当者の検察官調書によれば、次のとおりである。

平成四年六月一三日付け日本経済新聞に記事が掲載された際に、山一証券担当者が被告人に対して、情報開示の必要があり、開示すれば株価が反応するであろうと伝えたところ、被告人も「分かった。株価の方はよろしくお願いしますよ。投資家にもどんどん勧めて下さい。」と言っていた。日本証券業協会も、被告人に対して、被告人の言動が株価に影響するから言動や情報管理には十分注意するよう求めていた。同年七月中旬から八月下旬まで転換が進まなかった際、被告人は再三山一証券に対して、客に勧めて転換を進めるよう求めるとともに、「エイズ事業が順調に続き、転換社債が転換されるくらいまで株価が上がればいいな。」などと話していた。

この供述は、テーエスデーの株価の推移などの客観的状況に照らして自然であり、被告人が本件前後しきりに本件転換社債の転換状況や株価の推移を気にしていたとするテーエスデー関係者の供述と符合し信用できる。

3 そうすると、被告人がエイズ事業に関する情報によりテーエスデーの株価が大きく影響を受け高騰するということを十分に認識していたばかりか、これによる本件転換社債の株式への転換が進むことを期待していたことが認められる。

三  本件会見の準備状況

被告人は、平成三年暮れころには科学雑誌日経バイオテクの記者などを呼んでインタビューに答えていたにもかかわらず、前記のとおり被告人のエイズ事業に関する記者発表によりテーエスデーの株価が高騰したために、日本証券業協会からディスクロジャーを求められてからは、逆に自分から積極的に、山一証券を介して証券取引所内の記者クラブに対して記者会見の場を設定するよう求めている。関係証拠によれば、本件会見も、被告人が自分から積極的に証券取引所内の記者クラブで記者会見を行いたいと求めたことにより設定されたものであることは明らかである。

四  被告人の弁解の信用性

1 被告人は、本件公表をした理由について、平成四年七月中旬ころ知人の医者から、「奥田ワクチンが話題になり、奥田は舞い上がっているが、あんなに舞い上がっていると足を引っ張られる。」旨忠告され、学者仲間のしっとやねたみで奥田ワクチンがつぶされるようなことがあっては困ると思い、奥田ワクチンを守るために世間に対してインパクトを与えようとしただけであると弁解する。

しかし、マスコミによって奥田ワクチンに対する批判的な報道がなされたのは同年九月以降であり、ほかに学会などにおいて奥田ワクチンに対して批判がなされた事実はなく、たとえ知人の医者からそのような忠告を受けたとしても、これをもって直ちに奥田ワクチンが不当な批判を浴びていると思ったとする被告人の弁解は不自然である。むしろ、虚偽の公表をすれば、奥田ワクチンにとって何ら利益とはならず、あえて未確認、不確定の情報を流さなければならない必要性もない。

したがって、被告人の前記弁解は、不合理かつ不自然であって信用できない。

2 そうすると、テーエスデーの株価が高騰することを目的としていたとする以外に、あえて虚偽の事実を公表する合理的な理由は何らない。

五  まとめ

1 以上のとおりであって、被告人は本件会見で公表した内容により、転換社債の株式への転換が進むべく、テーエスデーの株価が高騰することを意図していたものと認められ、株式の相場の変動を図る目的を有していたと認められる。

2 なお、弁護人は、タイにおいて臨床試験が実施されていると公表した点は、記者からの質問に対してとっさに答えたにすぎず、株価を高騰させる意図はなかったと主張するが、本件会見の際に配付された資料にも、明確にタイで奥田ワクチンの臨床試験が開始されている旨記載されているのであるから、右主張は失当である。

第四  結論

以上のとおり、被告人は、テーエスデーの株式の相場の変動を図る目的をもって、風説を流布したものである。したがって、弁護人の主張はいずれも理由がない。

(法令の適用)

罰条 証券取引法一九七条九号、一五八条

刑種の選択 懲役刑

刑の執行猶予 平成七年法律第九一号(刑法の一部を改正する法律)附則二条一項本文により、同法律による改正前の刑法二五条一項

(量刑の事情)

一  本件は、テーエスデーの代表取締役であった被告人が、自社が発行した転換社債の株式への転換を促すため、自社の株価を騰貴させる目的で、東京証券取引所内の記者クラブにおいて、自社が関与するエイズ関連事業に関してタイで臨床試験を開始したなどと虚偽の情報を公表し、風説を流布した事案である。

二  株式市場で取引される株式の価値は、一般経済情勢や業界全般に共通な情報によっても左右されるが、株価判断にとって最も重要な情報は、株式発行者である当該企業を源とする個別の情報である。しかし、企業の経営者が自社の利益のために、虚偽の情報を開示すれば、株式市場における投資家の判断を誤らせ、損害を被らせるばかりか、市場の持つ適正な株価形成機能等を阻害することになる。そこで、証券取引法は、情報開示制度を充実させ、広範かつ適時の情報開示を要求する一方、開示される情報の正確性を第一に考え、虚偽の情報開示を厳しく取り締まっているのである。本件は、株価を騰貴させるため、情報開示を行っているように装いつつ、意図的に虚偽の情報を流したものであり、情報開示制度の趣旨を逆手にとった悪質な事犯である。

犯行の動機をみると、自らの経営する会社に転換社債の償還義務を免れさせようとしたものであり、株式市場における投資家の利益を犠牲にしても自社の経済的利益を最優先させるという態度は、株式を店頭登録をした会社の経営者としては極めて自己中心的であり、強く非難されるべきである。

風説を公表するに際しては、被告人は、自ら主幹事証券会社の担当者を介して東京証券取引所内の記者クラブにおける記者会見の場を設定させ、新聞記者らに対して、わざわざ虚偽の事実を明記した資料を配付している。このように本件は確定的な犯意に基づく大胆な犯行である。

本件において公表された風説は、翌日には新聞で報道され、意図したとおりテーエスデーの株価が高騰しており、本件転換社債権者を始めとする投資家に与えた影響は大きい。この結果、実際に本件転換社債の株式への転換が急速に進み、テーエスデーは多大な償還義務を免れている。情報開示により公正かつ自由な市場を目指す株式市場の信頼を少なからず失わせたことは無視できない。

三  他方、テーエスデーは、被告人が先頭に立って、実際にタイやロシアにおいてエイズワクチン開発事業の準備を進めていたのであって、全く根も葉もない事実をねつ造して公表したわけではない。また、被告人は、風説を流布したとしてマスコミにより批判され、その後テーエスデーの代表取締役を退任せざるを得なくなるなど、それなりの社会的制裁を受けている。このほかにも、前科前歴がないことなどの酌むべき事情が認められる。

四  以上の諸事情を勘案して、主文のとおり量刑した次第である。

(出席した検察官 石橋基耀)

(裁判長裁判官 山田利夫 裁判官 千葉和則 裁判官 野原俊郎)

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